解説:小野憲史のゲーム時評 「ポケットモンスターを遊びつくす本」がもたらしたもの

「ポケットモンスターを遊びつくす本」(キルタイムコミュニケーション)
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「ポケットモンスターを遊びつくす本」(キルタイムコミュニケーション)

 超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は、伝説の攻略本「ポケットモンスターを遊びつくす本」(キルタイムコミュニケーション)が小野さんに与えた影響について語ってもらいます。

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 「ゲーム批評」の成功を受けて、姉妹誌「パソコン批評」が刊行され、おかげさまで読者に受け入れられた。ただし、これによって版元のマイクロデザイン出版局(現:マイクロマガジン社)に硬派なイメージがついた。そこで、より多様なジャンルの出版物を企画・制作・出版することを目的に、キルタイムコミュニケーションが1995年11月に設立された。別会社とはいえ、フロアは同じで、仲間意識が強かった。

 そこからいきなり、出会い頭の場外ホームランが出た。それが1996年6月に出版された攻略本「ポケットモンスターを遊びつくす本」だ。ゲーム「ポケモン」のシリーズ展開にあわせて「赤」「緑」「青」と刊行が続き、1997年7月まで全8点が出版され、累計で100万部を突破した。「ゲーム批評」の実売が数万部だったため、天地がひっくり返るような騒ぎとなった。

 今では世界的なコンテンツとなった「ポケットモンスター」シリーズだが、1996年2月に発売された当時は、「地味な佳作」だった。火がついたのは1997年4月から始まったアニメ放送からだ。そのため攻略本の企画が立てられた当時も、「本当に需要があるのか」と半信半疑だった。ゲームが発売された数カ月後に書店に並ぶスケジュールになるため、ゲームの商品寿命が尽きてしまうことが想定されたからだ。

 通常、攻略本はゲームの開発と並行して編集が進み、発売と同時に書店に並ぶ。にもかかわらず出版されたのは、社内外に熱心なポケモンフリークがいたからだ。ただし、できるだけコストを削った結果、ポケットサイズでモノクロの誌面となった。読者対象も「ゲームをクリア済みのユーザー」で、ポケモンの育成と対戦に焦点を当てた。そのかわり、小学生でも購入しやすいように、定価を数百円と下げた。

 ところが、書店に並ぶや否や飛ぶように売れ、増刷に次ぐ増刷が続いた。ゲーム「ポケモン」の完成度もさることながら、競合の攻略本が少なかったことや、ディープな編集方針が功を奏した。

 しかし、良いことばかりは続かない。「ポケモン」のアニメ化を機に株式会社ポケモンが設立され、権利が集約化された。そのあおりを受けて、攻略本のシリーズ展開ができなくなった。ブームの最中に刊行が途絶えた背景には、そうした大人の事情があった。

 ちなみに、本シリーズの編集・制作に自分はタッチしていない。「ゲーム批評」の編集が忙しく、それどころではなかったからだ。ところがこれ以降、自分の人生に間接的にかかわってくることになる。

 攻略本のヒットでグループの財政が潤った。本社が移転し、フロアが広くなり、ネットワーク環境が整備された。一方で次第に攻略本の流通在庫が返品されてきた。仮に部数が100万部の場合、返本率が1%でも、1万部が返品されることになる。この時、返品による損益と同じくらいか、それを上回る新刊の出版が続けば、問題はない。しかし、そんなに簡単にベストセラーが出せれば苦労はしない。初めは景気よく、そして次第に追い詰められるように、さまざまな書籍や雑誌が企画され、その多くが失敗していった。

 1997年9月に攻略本「ディアブロ・アート・ガイド・ブック」が出版されたのも、そうした背景があったはずだ。当時、PCオンラインゲームとして異例のヒットを記録したRPG「ディアブロ」のサポート本として企画された。1999年5月にはPS1で発売されたアクションゲーム「仮面ライダー」にあわせて、「仮面ライダーメイキング」が出版された。筆者も「ゲーム批評」にくわえて、徹夜で「ディアブロ」を攻略したり、一文字隼人/仮面ライダー2号役を演じた俳優の佐々木剛さんをインタビューするため、ご自宅まで伺ったりと、これまでとは違う仕事が続いた。

 ただ、それらで「遊びつくす本」のかわりが埋まるわけもなく、キャッシュフローは悪化していった。出版業界の勉強会で「出版社を潰すのは、売れない本ではなく売れた本、特にうっかりベストセラーが出た後は要注意」という話を聞いたとき、深く納得したものだ。本社が再移転してフロアが狭くなり、質より量の出版計画が続き、残業代や各種手当がカットされ、社員やアルバイトの退職が続いた。

 ちなみに一度傾きかけたグループの経営も、まったく新しいところからヒットが出て、復活する。それが「二次元ドリームノベルズ」をはじめとしたシリーズだ。そこからレーベルが生まれ、雑誌になり、マンガになり、関連商品につながった。やがて「GCノベルズ」が立ち上がり、「転生したらスライムだった件」が出版され、現在に至る。いずれも自分が退社してからの話だ。ヒットは水ものと言われるが、ヒットを生み出す社風や環境には傾向があり、さまざまな研究がある。それが何かを考えることも、今の自分の仕事につながっているように思われる。

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 おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーランスで活躍。2011からNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)の中核メンバー、2020年から東京国際工科専門職大学講師として人材育成に尽力している。

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