コン・ティキ:息子トール・ヘイエルダールJr.さんに聞く 父の思い継ぎ「100%納得の出来」

コン・ティキ号の船長の息子トール・ヘイエルダールJr.さん
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コン・ティキ号の船長の息子トール・ヘイエルダールJr.さん

 1947年に、1500年前と同じ材料で作ったいかだで8000キロに及ぶ太平洋横断に挑んだ男たちがいた。船長の名はトール・ヘイエルダール(1914~2002)。ノルウェーの人類学者だ。その大冒険の日々をつづった映画「コン・ティキ」(ヨアヒム・ローニング監督、エスペン・サンドベリ監督)が、まもなく公開される。公開に先立ち来日した、ヘイエルダールさんの息子、トール・ヘイエルダールJr.さんに話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 ヘイエルダールJr.さんは「俳優たちは、本当によく演じてくれました」と、両親役のポール・スベーレ・バルハイム・ハーゲンさんと、アグネス・キッテルセンさんをたたえる一方で、「実際の父はまったく感情を表さない人でした。だから父が生きていたら、多分このポスターを見て激怒するだろうね。男と男が抱き合うなんてありえないという古風な考えの人だったから」と、かたわらに置かれた映画のポスターを見ながら 、笑顔でありし日の父に思いを巡らした。ヘイエルダールJr.さん自身、「父にハグ(抱きしめる)された記憶がない」という。

 ヘイエルダールさんの冒険は「ポリネシア人の祖先は、南米から海を渡ってやって来た」という自身の学説を証明するためだった。それ以前、新婚の妻リブさんとポリネシアのファツヒバ島を訪れ、そこで暮らし、そのときの体験から独自の学説を唱えるようになったヘイエルダールさんは、周囲がそれに耳を貸さなかったことから、ならばとこの冒険に5人の仲間と挑み、成功させた。「コン・ティキ」は、そのときのいかだの名前だ。インカ帝国の太陽神ビラコチャの別名「アプ・コン・ティキ・ウイラ・コチャ」にあやかって付けられた。そしてその偉業は、のちに多くの冒険家や探検家に影響を与え、ヘイエルダールさんが記した「コン・ティキ号探検記」は多くの人に読まれ、また、その冒険を記録した映画「Kon−Tiki」(1950年)は、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。今回の映画は、その101日間に及ぶ冒険と、そこに至るストーリーが描かれている。

 今回の映画の企画は96年に始まった。もともと「自分の人生、家族の話はプライベートなもので商業化するものではない」との思いから映画化を渋っていたヘイエルダールさんは、映画がどのように描かれるのか、その仕上がりを懸念していたという。残念ながらヘイエルダールさんは映画を見ることなく02年に他界したが、父の亡きあと、コンサルタント業務を引き継いだヘイエルダールJr.さんは、完成した映画について「100%納得のいくものになった」と満足している。

 考古学と文化人類学が専門だった父。周囲は息子にも、同じ道を歩むことを期待したという。しかし「10代のころはそうした周りの考えにうんざりしていた」というヘイエルダールJr.さんは、「己の人生を生きるため」に、父とは違う海洋生物学の世界に進むことにした。ところが皮肉にも、専門を「海」としたことで、「結果的には、父と同じ分野を目指し、父親とは同僚のような関係になった」と笑う。しかし、そのことを後悔してはいない。むしろ「同じ作業や研究をできたのはよかった」と話す。実際、ヘイエルダールJr.さんは、父親の、コン・ティキ号の冒険のあとの、70年に成功した葦(あし)船「ラー号」による大西洋横断や、77年の葦船「ティグリス号」によるインド洋航海のときには、海流や風の読み方などの航海術を父親にアドバイスしたという。

 父がコン・ティキ号の冒険に出たとき、ヘイエルダールJr.さんは9歳だった。さぞかし不安でいっぱいだったろうと思いきや、「母と父方の祖母は、綿密な計画を立てて挑む父に絶対的な信頼を寄せていた。ですから僕も、父の冒険を心配するどころか、逆にワクワクしながら送り出した」と話す。少年時代のヘイエルダールJr.さんは、父親にあるときたずねたという、「緻密に計画を立てて100%成功すると分かっていながら、なぜわざわざ冒険に出かけるの?」と。すると父はこう答えたという。「自分にとっては準備段階が仕事で、一歩海に出れば、それはバケーションなんだ。私はバケーションを取りたいから探検をやるんだ」と。なんとロマンにあふれた言葉だろう。

 その、ロマンをいっぱいに詰め込んだ冒険の日々をつづった映画「コン・ティキ」の劇中登場するいかだは、ヘイエルダールJr.さんの息子で、ヘイエルダールさんの孫に当たるオラフさんが、06年にペルーからポリネシアへ航海したときに乗ったものが使用されており、劇中に映るヘイエルダールさんの家族写真も、ヘイエルダールJr.さんいわく、「実際に起きた出来事、実在の人物であることを強調するため」に本物が使われた。

 また、いかだがサメの大群に囲まれたり、大波が打ち寄せたり。そうしたハラハラドキドキの体験は、もちろん実際にあったことだが、「そういう事件的なことが起きたのは、101日間の航海の中で5日ほどのこと。残りの90数日は天候にも恵まれ、クルーズ気分でかなり楽しい航海だったと聞いています。その点では、ドラマチックに脚色されているといえるでしょう」と映画について冷静に分析する。だからこそ今作を「あくまでも外部の人たちの視点で描いた、一つの物語として見てもらいたい」と透き通った青い目を輝かせながら静かに語った。映画は29日から全国で公開中。

 <プロフィル>

 1938年、ノルウェー・リレハンメル生まれ。オスロ大学で自然科学の理学修士を取得。専攻は海洋生物学。大学卒業後、海洋科学者としてノルウェーはベルゲンにある海洋調査機関に勤務。国連食糧農業機関で、インド洋を研究する水産業の専門家として従事したこともある。これまでいくつもの大学で講義を行い、またラジオ、テレビへの出演も多い。世界自然保護基金ノルウェー支部委員や、ニューヨークに本部がある探検家クラブの委員、リレハンメルの市議会議員を務めたことも。現在はリタイア生活ながら精力的に講演活動を続け、自身が所有する森で木こりをしながら、オスロにあるコンティキ博物館理事を務める。

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