ロジャー・コーマン:米インディ映画界の“神”に聞く 「コーマン帝国」公開記念

インタビューに応えるロジャー・コーマンさん
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インタビューに応えるロジャー・コーマンさん

 かれこれ60年近く、米インディペンデント映画界に“神”として君臨し、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(60年)や「血まみれギャングママ」(70年)など50本を超える監督作、「デス・レース2000」(75年)、「ピラニア」(78年)、「ディノシャーク」(10年)など500本以上のプロデュース作を世に送り出してきたロジャー・コーマンさん。彼にカメラを向けたドキュメンタリー映画「コーマン帝国」(アレックス・ステイプルトン監督)が順次公開中だ。11年の東京国際映画祭に特別招待作品として上映され、その際、来日したコーマンさんに聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

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 コーマンさんは1926年生まれ。監督としての最初の作品は55年の「ファイブ・ガン/あらくれ五人拳銃」で、以来50本を超える作品を製作し、その後プロデューサーに転身した。彼の映画作りにおける理念は「早く、安く仕上げ、もうけること」。その理念がどのように実行されていくのか。映画は、コーマンさんが手掛けた代表作のフッテージ(素材)映像を見せつつ、ジャック・ニコルソンさんやマーティン・スコセッシ監督など、彼の企画で育ち、今では名だたる俳優や監督になった人物たちに当時のエピソードを語らせ、コーマンさんの人物像を浮き彫りにしていく。

 実は当初、この「コーマン帝国」と同種の企画が、ハリウッドで最も影響力がある監督の手で進められていた。にもかかわらず、コーマン氏は、普段はコラムニストで、短編ドキュメンタリーを制作した経験はあるものの長編映画は初めてというアレックス・ステイプルトンさんという新人女流監督にメガホンを委ねた。その理由は「ニューヨークの映画祭でアプローチされたとき、彼女がとても知的な人間で、うまくやってくれると直感したから」だという。

 コーマンさんの“門下生”は、ニコルソンさんやスコセッシ監督はもとより、フランシス・フォード・コッポラ監督、ロバート・デ・ニーロさんなど枚挙にいとまがない。彼の映画製作におけるバイタリティーともども、その新人発掘に対する“選球眼”には驚かされる。どのようなところに着目し、未来のスターや未来の名監督を見極めるのだろうか。すると、コーマンさんが挙げた三つの要素は「知性」「ハードワークがこなせること」「クリエーティビティー」。そして、次のような過去の経験を披露した。「コッポラ、ジョナサン・デミ、ジェームス・キャメロン……。ほかにも監督は数人いましたが、私のアシスタントとして入ってもらい、一緒に仕事をすることで、彼らに才能があると理解できたわけです。また、スコセッシとは一緒に仕事をしたわけではありませんが、かつて彼の自主映画時代の作品をニューヨークで見たとき、映画を作る才能があると確信しました」

 今作のステイプルトン監督は、その“お眼鏡”にかなったわけだ。そして出来上がった作品についてコーマンさんは「私という人間を、フェアに、いい形で出してくれている」と評価し、「一緒に仕事をしてきた人たちからの優しい言葉、いい言葉をもらったことに心を動かされました」と満足そうな表情を浮かべた。

 「映画作りのプロセスが好きなのです。限界がくるまで決してやめません」と、85歳を過ぎた今も精力的に映画を製作し、今年公開予定の作品は5本にのぼる。そのうちの1本は3D映画だ。実は、今回の来日の前日に、その作品がクランクインしたばかりだった。「1日だけ現場を見て、それから飛行機に飛び乗りました。監督やクルーが初日さえうまく乗り越えられれば、映画は半分できたようなもの。それを確認してからこちらに来ました」と余裕の笑みを浮かべる。その映画「Attack of the 50ft Cheerleader」(ケビン・オニール監督)はコメディー作品だという。

 それにしても、取材中、終始穏やかだったコーマンさん。その様子と、生み出される過激な映画がどうしても一致しない。そう指摘すると、「私は決して穏やかではありませんよ(笑い)」とやんわりと否定された。その言葉の真偽は、みなさんが「コーマン帝国」を見て判断してほしい。映画は全国順次公開。

 <プロフィル>

 1926年、米デトロイト州生まれ。47年スタンフォード大学卒業後、20世紀フォックスのメッセンジャーボーイをへて、脚本アナリストに昇進したが、自分のアイデアが他人の成功になることに嫌気がさして退職。英国やパリを巡り、青年期に暮らしたロサンゼルスに戻り、53年、初の脚本作品「ハイウェイ・ドラグネット」による利益を元手に、54年、初プロデュース作「ザ・モンスター・フロム・ザ・オーシャン・フロア」を1万8000ドルで完成させる。その後は低予算映画を次々と送り出し、監督作品は50本を超える。90年代からはプロデューサー業に完全にシフトし、製作した作品は500本を超える。新人監督や俳優の発掘にも秀でており、コーマン組からは、フランシス・フォード・コッポラ監督やジャック・ニコルソンさんなどを輩出。09年、映画芸術科学アカデミー協会から「映画と映画製作者に多く貢献した」としてアカデミー名誉賞を授与された

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