小野憲史のゲーム時評:ニンテンドー3DSの生産終了に思う 故・岩田聡社長の想い

任天堂の故・岩田聡社長=2011年、小野憲史撮影
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任天堂の故・岩田聡社長=2011年、小野憲史撮影

 超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界の現在を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は、生産終了が発表された任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」と、話題を呼んだ任天堂の故・岩田聡社長の講演について振り返ります。

ウナギノボリ

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 多くの人にとって、2011年という年はさまざまな意味を持つだろう。筆者には二つの意味があった。第1に携帯ゲーム機のニンテンドー3DSが発売された年だ。第2にゲーム業界の産業構造の変化を目の当たりにした年となる。舞台は3月に米サンフランシスコで開催されたゲーム開発者会議「GDC」だ。25周年の記念大会であり、最後の基調講演が行われた年だ。

 当時、3月のGDCと6月のE3はゲーム業界の二大イベントとして位置づけられていた。E3に比べてGDCは技術的な話題が中心だったが、次第にマーケティング的な性格が強まっていた。象徴的だったのが基調講演だ。業界のキーマンが登壇し、新型ゲーム機のビジョンや、技術的な講演などを行うのが常だった。しかし、この年を境に姿を消した。

 最後の講演者となったのが、任天堂の故・岩田聡社長だ。2005年から数えて4回目のことで、初登壇で「肩書きは社長、頭脳はゲームデベロッパー、しかし心はゲーマーです」と切り出し、聴衆の心をわしづかみにしたのは、今でも業界の語り草だ。2月26日に日本でニンテンドー3DSが発売され、米国では3月27日に発売予定という絶好のタイミングで、会場にはゲーム開発者で長蛇の列ができた。

 しかし、講演内容は少々異なっていた。業界のリーダーの一人というよりも、評論家的な立場で業界全体を俯瞰し、先行きを憂うような発言が目立った。3DSでNetflixが視聴できるなど、ゲーム以外の用途に関する話題が挟まったのも、ゲーム開発者があつまるGDCでは異質だった。そして最後にスマートフォンやソーシャルネットワークを、ゲームソフトの価値を貶めるものとして批判した。なお、講演内容は任天堂の公式ホームページ(https://www.nintendo.co.jp/event/gdc2011/index.html)で全文掲載されている。

 では、なぜこのような内容になったのか。鍵はアップルのiPad2発表会にある。GDC期間中に隣接する会場でスティーブ・ジョブズ氏が登壇し、新製品のプレゼンテーションを行ったのだ。しかも、岩田氏の基調講演と時間帯を合わせてだ。ゲームに関する発表はなかったが、3DSの発売を月末に控えた米国任天堂にとって、どこか挑戦状のように感じたとしても、想像に難くないだろう。

 結果はどうだったか。岩田氏は専用ゲーム機向けにゲームを開発する意義について語ったが、反応は今一つだった。すでに少なくないゲーム開発者がスマートフォンやソーシャルネットワークでゲームを開発していたからだ。GDCで議論された内容も、こうした新興プラットフォームに関するものが増えており、時代とずれていた。初登壇から6年後の話で、業界の変化の速度に驚かされた。

 その後の推移は周知の通りだ。2012年に海外で「クラッシュ・オブ・クラン」、日本では「パズル&ドラゴンズ」がリリースされ、スマホゲーム市場が急成長。11月に発売されたWiiUが低迷を続ける中で、翌年末に発売されたPlayStation4が急成長し、XboxOneもそれに続いた。その結果、2017年にニンテンドースイッチが発売されるまで、3DSは任天堂の屋台骨を支え続けることになる。

その後、3DSは7500万台超を販売し、2020年9月16日に生産を終了した。思い返されるのは、あの講演だ。岩田氏が他界した今、壇上でどのような思いだったか、想像するほかない。もっとも、熱烈なアップルフリークとして知られた岩田氏だけに、ジョブス氏と同じ日に数百メートル離れた場所で講演することを、実は楽しんでいたのかもしれない。

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 おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーのゲームジャーナリスト。2008年に結婚して妻と猫4匹を支える主夫に。2011~2016年に国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)代表として活躍。退任後も事務局長として活動している。

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