ルック・オブ・サイレンス:オッペンハイマー監督「人々が目を背けてきた恐怖と対峙し考えるきっかけに」

映画「ルック・オブ・サイレンス」について語ったジョシュア・オッペンハイマー監督
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映画「ルック・オブ・サイレンス」について語ったジョシュア・オッペンハイマー監督

 日本で2014年に公開された「アクト・オブ・キリング」(12年)と対をなす映画「ルック・オブ・サイレンス」が4日から公開された。前作では、60年代にインドネシアでひそかに行われた大虐殺の実行者たちにカメラを向けたジョシュア・オッペンハイマー監督。今作では、その虐殺で兄を殺された眼鏡技師のアディ・ルクンさんが、加害者たちの元を訪れ、その罪に迫る姿をカメラに収めた。01年に別のドキュメンタリー作品を撮るために初めてインドネシアを訪れ、それがきっかけで、この2作品を撮ることになったオッペンハイマー監督。「自分にとって特別な旅になった。この経験が、自分を映像作家に育ててくれた」と語る監督に、製作の経緯や作品に込めた思いなどを聞いた。

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 ◇「邪悪さ」と「自己欺瞞」

 今作の製作を通して、「人と人とをつなげる絆の大切さ」や「共感」の重要性を学んだと語るオッペンハイマー監督は、「互いをもっと思いやり、愛することができれば、暴力のない、真の人間的社会を作り上げることができるかもしれない」と希望的観測を口にする。

 監督の言葉を借りるなら、私たちは「邪悪な行動をした人をモンスターと決めつけがち」で、問題を「そうすることでおしまいにしたがる」。「しかし……」と監督は言葉をつなぐ。「彼らもまた、私たちと何ら変わりのない人間なのです」と。

 ではなぜ「人は邪悪なことができるのか」。その問いに監督は「それは、自己中心的だったり、自分をだますことができるから。換言すれば、邪悪さに対するキャパシティー(受け入れる能力)は、その人が自分自身をだます能力を持っているかということでもあるのです」と答える。

 オッペンハイマー監督は「人間は、決して歴史から逃れることはできない」とも語る。その例として挙げたのは、前作「アクト・オブ・キリング」の最後のシーンだ。加害者が、突然口から何かをはき出そうとする。まるで、自分にとりついている悪霊をはき出そうとでもしているようだ。しかし何も出てこない。そこから監督は「その悪霊自体が彼自身だからです。彼はいまだに過去から逃れることができないでいる。今回の作品でも、加害者や被害者は、『過去は過去だ』と何度も言っています。加害者は『脅迫』として、被害者は『恐怖』からそういう言い方をしていますが、結局のところそれは、いかに過去が現在につながっているかということを示しているのです」と説明する。

 ◇覚悟を決めさせた父親の認知症

 今作は、03年から10年にかけて撮影された「アクト・オブ・キリング」の編集を終え、それがまだ公開されていない12年の短い期間に撮影された。「アクト・オブ・キリング」がインドネシアで公開されれば、監督自身がインドネシアに行けないことは想像できたからだ。

 それより少し前の10年頃、オッペンハイマー監督は、当時からスタッフとして加わり、「メインのコラボレーターになる」と薄々感じていたアディさんにビデオカメラを渡し、今作の「視覚的な手掛かり」になるようなものを撮っておくよう頼んでいた。そして12年、アディさんと再会したとき、アディさんから「自分は7年間、ジョシュア(監督)が加害者側の取材をするのを見てきた。それによって自分も変わった。兄を殺した者と対峙(たいじ)しなければいけないと強く思う」と打ち明けられたという。加害者たちは、今も同じ村で権力を握っている。当然、オッペンハイマー監督は危険性を指摘し、止めた。しかしアディさんの決意は変わらなかった。そこにはこうした理由があった。

 オッペンハイマー監督によると、それまでアディさんからは、預けたビデオカメラで撮影した映像がしばしば届いていたという。しかし一つだけ送られていないものがあった。それは、アディさんの父親が初めて認知症を発症し、恐怖にかられる映像だった。その映像を見せながらアディさんはオッペンハイマー監督にこう説明したという。「自分の家族を殺した加害者が、同じ社会の中で生きている。彼らは権力の座に着き、自分たちや社会を恐怖の檻(おり)に閉じ込めている。かたや父親は認知症になり、その記憶に残るのは愛する家族の顔ではなく恐怖だけだ。父は死ぬまでその恐怖の檻から逃れることはできない。自分と家族が恐怖の檻から逃げおおせるための方法が、加害者と対峙することなのだ」。そしてその気持ちは「復讐(ふくしゅう)心からくるものではなく、相手を理解し、もし加害者が自分の責任をとるようなことを言ってくれるのなら、その時やっと自分は加害者を許すことができ、共に生きていけるだろう」と。その言葉を聞き、オッペンハイマー監督は覚悟を決めた。そして撮影を行い、完成させた。

 ◇現職大統領に渡されたコピー

 前作「アクト・オブ・キリング」のインドネシアでの上映が、当初、宗教系や虐殺を生き延びた人たちのグループ、あるいは大学や映画同好会のようなところで秘密裏に行われていたのに対して、今作はそうしたインフラを利用しつつ、政府機関の国家人権委員会とジャカルタ芸術振興会の主催によって、国内最大の映画館で上映された。それによって、「労働者階級から上流階級、田舎から大都市、さらに、普段、映画を見ないようなシニアにまで観客層を広めることができた」とオッペンハイマー監督は語る。ちなみに今作は、第71回ベネチア国際映画祭で審査員大賞はじめ5部門に輝いている。

 そういった中、オッペンハイマー監督らスタッフは、現職のジョコウィ大統領にも見てもらおうと、作品のコピーを渡したという。大統領が見ているか否かは現段階では定かではないという。オッペンハイマー監督はそれについて、「大統領が65年の虐殺について、きちんとした形で掘り下げるというようなことを選挙の公約で掲げていました。まだその結果は出ていませんが、そういう経緯からすると、見ているとは思います。ただ、政治的な判断で、見たことを公にしていないのではないか」と推察する。

 ◇インドネシア社会に与えた影響

 監督によると今作は、「加害者のことを慮って」彼らの村では上映されておらず、また、映画にも「必要最小限の名前しか出していない」。そのため、「今のところ、(映画に)参加した人の中で人生が変わったという人はアディ以外いない」という(アディさんは、現在、撮影当時とは別のところで暮らしている)。

 ただ、インドネシア社会には確実に影響を与えた。今作には、学校の教師が子供たちに誤った歴史認識を植え付けるような指導をしている場面が映る。ところが監督によると、「インドネシアの歴史教師協会が、政府が作るカリキュラムとは別に、実際はこうなんだという“オルタネーティブバージョン”をさらに教える」よう変化しているという。

 そういった状況から「アクト・オブ・キリング」と今作が「間違いなく、メディアにせよ、一般の人々にせよ、今まで根強い恐怖だった汚職や腐敗について公に話すことができる触媒になった。今まで目を背けてきた恐怖と対峙して、自分はどうしたいのかを考えるきっかけになっている」と話す。そして、「その先陣を切ったのが『アクト・オブ・キリング』であり、それがこじ開けた空間を、『ルック・オブ・サイレンス』はさらに広げることができたのです」と改めて自身の成果を振り返った。映画は7月4日から全国で順次公開。

 <プロフィル>

 1974年、米テキサス州生まれ。ハーバード大学とロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズで学ぶ。10年以上にわたり政治的な暴力と想像力との関係を研究するため、民兵や殺人組織とその犠牲者を取材してきた。多くの短編を制作し、2012年、「アクト・オブ・キリング」で長編映画デビュー。現在はデンマークのコペンハーゲンに拠点を置き、制作会社「ファイナル・カット・フォー・リアル」の共同経営者を務めている。

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