イビチャ・オシム:旧ユーゴ代表を語る「バルサのようなプレー目指していた」 WOWOW

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 サッカー欧州王者を決める大会「UEFA EURO サッカー欧州選手権」。92年に同大会出場を決め、当時欧州最強と目されながらも、民族紛争に翻弄(ほんろう)され、出場権を剥奪された「ユーゴスラビア代表」を、元選手たちの証言と当時の映像で振り返るWOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW 幻の欧州サッカー王者 ’92ユーゴスラビア代表の崩壊」が6月1日に放送される。当時のユーゴスラビア代表チームを率い、さらに、日本代表監督経験もあるイビチャ・オシムさんに、WOWOWがインタビューを行った。(毎日新聞デジタル)

ウナギノボリ

 80年代末から始まった「東欧革命」の最中、オシム監督のもと一丸となって戦ったサッカー・ユーゴスラビア代表は、91年には「EURO1992」予選を1位で通過し本大会出場を決定。圧倒的な強さを誇り、優勝候補筆頭といわれたが、92年、国連の制裁決議を受けて本大会に出場することはできなかった。番組では、民族紛争によって翻弄された“幻の欧州王者”に迫っている。

 −−日本のサッカーを今でも追っていますか? 日本で何が起きているか知っていますか?

 常に日本のサッカーは追っています。日本の選手の技術は向上しているし、結果も出ています。ただ、彼らの中には大きく変わってしまった選手もいます。以前は良かったのに今は駄目になったり。もちろん、成長した選手もいます。あまり歓迎できないのは、日本でも選手や監督の交代が頻繁に行われるようになったことです。ヨーロッパのまねをしているんですよ。ヨーロッパで起きていることが全てよいとは限りません。監督を度々変えることは、選手やスタッフ、サポーターに不安を与えるばかりです。

 −−あなたが率いたユーゴスラビア代表には黄金世代と言われた世代の選手が多くいましたが、彼らと出会った時の印象や評価はどのようなものでしたか?

 チームには民族主義に偏っていた選手などいなくて、みんなが普通の人間でした。私は彼らに対する偏見など全くありませんでした。ただ、当時は自分がクロアチア人だとか、セルビア人だとか、ムスリム人だとか、なかなか大きな声を出して言えるような時代ではありませんでした。記者たちからは、あの国を捨ててこちらを選んだとか、そういう感じで裏切り者扱いされた選手もいました。私に関しては、選手たちが何に対しても実に勇敢で、規律正しくて、誠実だったので、一緒に仕事ができて本当に満足しています。素晴らしいチームでした。当時の代表選手たちのほとんどがユース世代からずっと一緒にプレーしたこともあって、A代表に昇格してきた時にはすでにチームとして成熟していました。(90年の)ワールドカップ イタリア大会(イタリアW杯)を通してひと回りもふた回りも成長した彼らはヨーロッパチャンピオンになれる可能性を秘めていましたし、もしかしたらそれ以上の結果が後に待っていたかもしれません。戦争が起きてしまったことが非常に残念でなりません。

 −−ユーゴスラビア代表に関してはどうでしたか?

 今の(スペインの)バルセロナのようなプレーを目指していましたし、それを実践できるだけの選手がそろっていました。ただ、当時では考えられないことですが、守備を知らない選手が6人ほど同じチームでプレーしていたのです。今日のサッカーでは、選手は攻撃と守備の両方ができなければいけません。彼らはスター選手でした。彼らのうち1人でもプレーしないと記者たちから口うるさく言われました。それならと言うことで、彼らを一緒にプレーさせて何ができるか試すことにしました。同時に、自分で確信したい部分もありました。イタリアW杯のドイツ戦でそれを試して、結果は1対4で敗戦しました。私は選手たちに責任があるとは言いません。単にピッチ上に不均衡が生じていただけです。ドイツには走れる選手がいる一方で、私たちにはいわゆる“華麗”な選手がいました。華麗な選手だけでは走れる相手にとてもじゃないですが対抗できませんでした。単純にチームのバランスが保たれていませんでした。例えば、レアル・マドリードがバルセロナと対戦する場面を思い浮かべてください。レアルには、カカ、クリスティアーノ・ロナウド、メスト・エジルのほかに、あと2、3人ほど守備を知らない選手がいるでしょう。一方のバルセロナには攻撃も守備もできる選手がいる。不均衡が生じるのはレアルです。それは数学の世界です。ちょっと考えればすぐに分かることです。

 −−旧ユーゴスラビアの各国から集まった選手たちをチームに配置することは難しかったですか?

 私は全く問題なかったですよ。私はそういうタイプの監督ではありませんでした。彼らがどこの出身であるかは全く興味がなく、ただ、ベストな選手を呼ぶだけでした。名前の違いで呼ぶことは一切ありませんでした。むしろ、名前や血液の違いで選ばなかったことを問題視してくる人間がいました。私にとって、選手たちがマケドニア人なのか、ボスニア人なのか、アルバニア人なのか、全く意味がありません。

 −−イタリアW杯の後、欧州選手権予選が始まり、また大きな結果を成し遂げるためのチャンスが訪れました。その時もバルセロナのようなサッカーを目指していたのですか?

 私たちは予選で素晴らしい試合を見せて、(EURO1992の開催地の)スウェーデンまでたどり着いたのですが、出場停止処分を受けました。私たちの代わりに出場したデンマークが優勝しました。とはいえ、ユーゴスラビアが優勝していたと、そんなそぶりを見せるつもりはありません。スウェーデンでプレーするはずだった選手は、自分の国の代表選手としてチームに残りプレーを続けました。予選で戦ったチームはとても強く、もう一歩先に進むことができました。もっと成長して、もっと経験を積んでいたら、あの代表はすごいチームになっていたと思います。今でも確信できるのは、ユーゴスラビア代表が消滅することなく、バルセロナのような技術的にも素晴らしくて流れるようなサッカーができていたのなら、非常に危険なチームになっていたということです。なぜなら、彼らは才能の塊で、非常に優秀だったからです。

 −−欧州選手権予選と並行する形で、内戦もひどくなくなっていきました。その状況をどのようにご覧になっていましたか?

 起きている状況を見ていることは非常につらく、生活も大変つらかったです。当時のチームは、人々の記憶の中に「戦争が起きなかったら何か達成できたのに」という一種の慰めとして、残りました。当時のユーゴスラビア代表は私たちが生きてきた多民族国家の象徴のような存在でした。世界を見渡しても私たちのような歴史をたどった国はまれです。チームにはさまざまな境遇に置かれた選手が存在しながらも、皆が一緒になって生活していました。彼らのカリスマ性は今でも失われていません。

 *……WOWOWでは、「ノンフィクションW 幻の欧州サッカー王者 ’92ユーゴスラビア代表の崩壊」を6月1日午後10時からWOWOWプライムで放送する。また、6月8日に開幕する「UEFA EURO2012」本大会の模様も放送。開幕戦から7月1日の決勝まで全31試合をハイビジョンで生中継する。

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